前に書いたのと重なることもあるのだけれど、ちょっと考えをまとめてみたかったのです。やたら長いので、お時間のある方のみ、お付き合いくださいね~♪
クラシックを演奏する人にとって、楽譜は欠かせないもの。楽譜の読み方は、身体のあやつり方とほぼ同時進行で身につけていきます。長い間のトレーニングを経て、楽譜を読むことと演奏することの間には滑らかな回路が出来上がります。子供の頃から取り組めば、尚更です。「楽譜は読めるけれど、上手く演奏するにはもっと練習しなければ」ということは多々あれど「クラシックをきっちり演奏できるのに、楽譜が全然読めない」というのは稀だろうと思います。
まあ私も平凡レベルながら、読んで弾くのが当たり前なクラシックのピアノを弾いていた訳ですが、データを作るようになって驚いたのは「楽譜に書いてある情報量って、こんな程度なのか」ということでした。楽譜をそのまま打ち込みしても、音楽的な演奏にはほど遠く、情けないほど機械的。人が楽譜を見て演奏するときには、そのときその曲によって違う呼吸感をもたせるものだし、身体感覚でもって音作りをし、ありったけの想像力とバランス感覚で音楽を組み上げていると思うのです。楽譜に書いてある情報にかなりのプラスαをして、はじめて演奏が成り立つのです。単に「楽譜を読んで弾いている」と思っていても、実際の演奏には、楽譜に書ききれない色んな要素がないまぜになっていたのでした。データ制作を通じて「楽譜に書いてあることと、そうでないこと」を考えざるをえませんでした。
「電子ピアノは、誰が弾いても同じ音がする」とよくいいますけれど、そりゃあそうなんです。だって音作りする場所が、人の指ではないもの。人によって違う音は出ません。音の強弱は伝わりますが、同じ人が例えば指を立て気味にして弾いたり、指のお腹を使ったりして音を弾きわけても、出てくる音に変化はありません。アコースティックのピアノと比べてしまえば、かなり平面的で色彩感に欠ける表現に聞こえてしまうのは確かです。
これはデータ作りにおいても当てはまります。手弾きでも打ち込みでもいいですが、とりあえず音符を入力しただけでは、ピアノに限らず平面的な音しか出てきません。でも音の立ち上がりや減衰がその時々で違う楽器は普通にありますし、同じ楽器でもソロをとるときには細やかな表情が要求される一方で、バックにまわるときには細やかな表情よりもアンサンブル全体の中でどんな色合いを添えるかが大切になってくるものです。つまり平面的な音では、絶対に足りない。平面的でない音を手に入れるには、電子楽器に通じるやり方=数字を動かすことで様々な修正を加える。それで足りなければ、同じ楽器の音色バリエーションをいくつも用意して対応することになります。これ、着メロでは制約が多くて、ちょっと難しいですけどね。
ヘッドホンをつけてジーッとCDを聴いていると、繊細かつ多彩な音色を身体感覚で紡ぎ出してくださる演奏家って、本当にありがたい。データでは、その多彩さに追いつけないでしょう。「気は心」みたいには出来るけれども・・・コンピューターを使って「気は心」ってちょっと変ですね・・・でも素敵な演奏のエッセンスは、盛り込みたいな。
「こんな音が欲しい」というのは作・編曲家の要求であり、演奏家の要求であり、聴き手の要求でもあり、そして楽譜には書ききれないものです。データ作りは、こうした様々な視点をもってまとめあげるものだと思います。着メロの場合は、生活の中での使いやすさと、制作上の諸制約に折り合いをつけることも加味していかないといけませんが。
あ、あと「ふくみみパラダイス」の着メロ制作では柔らかな音作りとともに、呼吸感をとても大切にしています。耳コピのときには出来るだけ原曲のテンポと違和感がないように整え、楽譜を見て作るときには自分で歌いながら整えます。歌ったらどうなるかということをいつも念頭に置いて、テンポ調整には手を抜きません。手間はかかるけれども・・・なにしろうちは「ほのぼの系」着メロショップ。「ほのぼの」を甘く見ちゃダメですよ。硬いキンキンした音に、機械的なテンポでは「ほのぼの」できないでしょ?目指すのはその逆方向、柔らかい音と自然な呼吸感を、数字いじりできっちりと作り上げていきたいのです。そうして出来た着メロが日常生活に溶け込んでいくことを、いつも願っています。