カテゴリー「音楽」の記事

2008年12月15日 (月)

わたくし的にヒット

先月末に出たクインテットのCD「真夜中の動物園」をしょっちゅう聴いてます。収録曲は歌ものとクラシック曲、両方にまたがっていて今回も楽しいです。

歌もので、わたくし的にヒットなのは「おそうじワルツ」と「つまんないうた」。今年の大掃除BGMは「おそうじワルツ」に決まりだわ。大掃除じゃなくて「OHそうじ」よ。毎年しかたなくする大掃除が、優美なワルツにのって、いきなりミュージカルの一場面に早変わりか?口ずさむだけでも軽やかに体が動くのは、マジックだな~。
そして【つまんない】【つまんないったら つまんない】を連発するすごい曲「つまんないうた」は、クインテットで初めて聴いたときから釘付けになりましたです。こんな歌、今まであった?【つまんない】ですよっ。【元気を出そう】系の歌よりも、ある意味元気が出るかも・・・カッコつけなくてもじゅうぶんカッコいいジャズの、軽やかなパワーにのって素直に【つまんない】と歌えば。

クラシック曲ももちろん極上でありながら親しみやすく、プロのすごさをひしひしと感じます。どの曲も素敵ですが、シューベルトの「楽興の時」がとくに好き。この曲はピアノ曲として知っていて、わたくしもへなちょこながら弾いたことがあります。減衰していくピアノの音では、刻々と流れて去る時間の儚さのようなものを思いました。このクインテットのアレンジでは色彩感と力強さ、きりりとした味わいをもって奏でられて、とても新鮮です。

日常のなかに自然に溶け込む歌も、そういえば昔聴いた歌も、長い歴史をくぐってきたクラシック曲もクインテットにはあります。これからも勝手に、応援します♪

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2008年12月11日 (木)

わかったこと

わたしが「コンサートに行く」というのは「コンサートホールで生音の音楽を聴く」のと同義でした。ライブハウスへ行こうと誘われたこともなくはないですが、立ちっぱなしとか、みんなでウォーッと叫ぶというのがどうにも苦手で「いやだ、疲れる、酸素が薄そう」などと言って断るうちに、そういう感じの悪い(?)人は誘われなくなりました。

そんな記憶も遠ざかり、気軽に着メロを作り始めたのは同時発音数が 3音・4音の時代のこと。音については「こんなものでしょ」というところで深く考えなくてもよかったのですが、40音の音源(FM)が出たあたりから、Kクリのクリエイターさん達はみるみるうちにリアルでカッコイイ音作りをするようになります。私はデータ作りのテクニックやコピー力をちょっとやそっと上げても、何曲データを作っても、みんなに追いつけない感がありました。ひょっとして、データ作成には根本的なところで耳がおかしいのだろうか・・・

おかしいかどうかはさておいて、エレクトリック系音色への対応は感覚的にちょっとツライ。もうアコースティック系の音だけに専念しよう、と開き直って 3年あまり。たまにコンサートへ行けば「ホールで響く生音の、空気を含んだ質感って録音や放送ではちょっとわかりづらい」と思ってきました。

最近リコーダーの音をライブハウスで、もちろんPAを通して聴く機会がありまして・・・PAを通した音も、録音や放送ではわかりづらいものですね。音が立ちあがるときのアタックの強さというのでしょうか、コンサートホールであれば音が耳へ届くまでに壁に当たったりするのでそこそこまろやかになるところですが、それを含めて音が増幅されるので、音量が大きいだけでなく耳あたりがかなり鋭いです。そして楽器どうしでふっくら共鳴してしている感じは、生音よりも薄い。ひとつひとつの楽器の音が、溶けあう前にくっきりと主張する。こういう音をがっつり受け止めるには、気力も体力も隙なくパンパンにしていかなくてはいけないような気がする・・・

つくづく私の耳は生音ベースに育ってきたのだな、とあらためて自覚。耳がおかしかったわけじゃない。でもPAが当たり前の音に長く接してきた、Kクリのほかのクリエイターさんみたいには音作りが出来なかったはずだよ・・・いや、別に出来なくてもいい!これからも生音のニュアンスを含んだ「わたしの音」をめざしましょ。

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2008年11月22日 (土)

ふってみましょう♪

日曜日に「題名のない音楽会」で、一度はオーケストラの指揮をしてみたい人たちがそれぞれ 1分間の時間制限のなか好きな曲でプロオーケストラを指揮するコンテスト「振ってみまSHOW」を見ました。大好評のこの企画はもう 4回目になるそうで、4回とも見ていますけど、いつも密度が濃ゆい~。

出場者の皆さんは、年齢も音楽歴もさまざま。ふだんはCDを聴きながらエア指揮してるんだろうなあ。それぞれに気に入っているメロディや、グッと来るポイントがあって、それをプロオケの演奏で実際に音にできる、まさに夢を叶える機会です。テクニック的なことはおいといて、各々の個性と「好きで好きでたまらないんだよっ」という気持ちが強烈に伝わってくる、これアマチュアの楽しさですよね。

そしてプロの指揮者のすごさも、同時にわかるのでした。曲の構造を把握し、テンポを作り、音を引き出し、音楽の流れを作りあげて・・・自分の意図を的確にオケへ伝える技術が、どれほど鍛えあげられたものか。技術は技術のためではなく、思いを載せるためにあるのだな。

ふだん普通に暮らしていてもそうは出会えない、情熱的な音楽愛好者たちの姿を見て、おおいに元気をもらった日曜日でした。

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2008年10月26日 (日)

いまどき、着メロ

ブログに書きたいことはいつも頭の中にあるけれど、ちびちびと書いては直し、書いては直ししているうちに、書きかけの記事が記事一覧の奥のほうへもぐっていって、いつの間にかその存在を忘れてしまったりします。今日は、そんな【書きかけちゃん】を掘り出して、つなげよう・・・

着メロは単音に始まり、音源がどんどん進化を遂げたことで 3音・4音時代にあった「着メロってこんなものでしょ」というお遊び的気楽さは、もはや彼方の昔へ去り・・・「こんなもの」のレベルはとんでもなく高くなりました。そして今では携帯内蔵の音源ばかりでなく、作り手の好きな音源を使っての制作も可能です(着うたフォーマット)。

そんなふうに制作の自由度は上がったものの、CDから録る着うたが登場して着メロは大打撃を受けます。耳で音を拾い、手作業で作る着メロは、まるで前時代の色褪せたもののように言われることもあります。でも着メロはもともと携帯のために作られるものですし、良くできている作品は作者の耳の良さと技術の結晶。「着うたは着うたで聴くけれど、 着信音としては着メロを使いたい」というふうに選ばれたいものです。とくにKクリの着メロは各クリエイターの手間と愛情がかかっていて、選曲もなかなかディープで面白いと思うのだけどね・・・Kクリがいまいちメジャーでないのが残念。

わたしは携帯内蔵の音源で作っています。やわらかい生音が好きなので、データもそれらしい味わいでまとめたいと思っています。PCM音源の音は元々やわらかく、MA(携帯端末用のFM音源)も難しいけれど調整次第でやわらかい音になる、これがうれしくて好き放題に作る日々。自分がリアルでは演奏できない楽器についても「わたしの音」を持てる、これが電子音のいいところですね。

「わたしの音」をもって、わたしひとりで着メロ用に音楽を組みあげます。「木を見て森を見ず」なんていう言葉がありますが、データ作りには木(各楽器)と森(全体)を縦に見たり横に見たりしつつ、ひとつひとつの木を観察、また森全体を上空から俯瞰で見る視点も要るようです。テンポの揺らぎや表情の変化といった、たとえるなら森の雰囲気も出来るだけ丁寧に入力いたしましょう。曲の構造を理解するのも、呼吸感をはじめ生き生きした表現を追求するのも、両方大切。自分の好きな曲はこんなふうに出来上がっているのだということを知ると感謝の気持ちでいっぱいになりますし、音楽の心地よい動きも自分なりに再現してみたいのです。

ともあれ携帯を楽器のように楽しんでいるところが作品から伝われば、嬉しく思います。着信音が生活に溶け込み、なおかつハートフルな音楽として楽しんでいただけることを願っています。

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2008年9月13日 (土)

そういえば、思いこんでいた

何年ぶりかで、エレクトリックベースやドラムのはいった曲を打ち込んでいます。ギターも 3つあり。

着メロ作りを始める前はピアノばっかり弾いていたので「ギターがあって、ベースがあって、ドラムがあって」というスタイルのデータをぼちぼち作り始めたときには、手探りで取り組むことになりました。あまりに手探りだったため、すさまじい思いこみもありました。

ドラムのキックっていうのは、足で蹴ってるのだろう・・・とか。
ワウギターっていうのは、すんごく大きなヴィヴラートに違いない。え?手首を大きく振ってるんじゃなかったの?・・・とか。
今はその頃より楽器や奏法の知識が増えたので、そういう思いこみはないです・・・

相変わらずギターは弾けなくて音を取るのも必死だったりしますけど、そこそこ鍛えた耳とファン魂で、がんばります♪

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2008年9月 1日 (月)

生音ブラボー

5月のアン・ベガを最後に、コンサートに行けてないです・・・

私にとって音楽を聴くことは、自分のリズムを整えるため、ひいては自分が壊れないためのビタミン。普段は勿論テレビやスピーカー越しに聴いてます。ヘッドホンつけて、曲のあちこちを分析的に聴くのも面白いです。ただヘッドホンで聴くのは、頭の中へ音を詰め込むようで最後には飽きてしまいます。
ちなみに着メロ作りの耳コピ(ヘッドホン装着)は音楽を終始分析的に聴くもので、完全に「ものづくり」の一過程です。溶けあって心地よく鳴っている音たちをわざわざバラし、小さい音も耳ダンボで拾ってデータ用に再構築・・・この作業は神経をフルに使うので、まったく癒されません。ははは。ヘッドホンはともかく「ものづくり」は好きなんですよ。

そんななかコンサート会場で頭じゃなく全身に浴びる音、とくにふっくらした生音の演奏はもうカンフル剤みたいなものです(PAを通すと、ふっくら感が大幅に削げおちてしまうような気がします)。振動が空気を介して直に伝わってきて、もう嬉しくてしようがない。生き返るよう。自分のなかで淀んでいた何かが、コンサートが終わった頃にはどこかへ流れて消えています。私はパソコンに向かい、数字をいじってデータを作っていますけど、ホームグラウンドはやっぱり生音だと思います。

データ作りなんて知らなかった昔、ピアノを弾いてましたけど、今ほど生音をありがたいとは思っていませんでした。生音が身近で当たり前すぎて、どんなふうに素晴らしいものか言葉にもしませんでした。データ作りをするようになってから、電気を通した音とのあまりにもすごい違和感に直面して、いろいろ考えさせられた・・・感謝するべきなのでしょうね。

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2008年8月21日 (木)

鳥オルガン

Ts3b0206_2先週はお盆ということで、着メロ作りをお休みさせていただきました。出かけたり、暇をみてするつもりだった用事をいろいろと片づけたりしてました。
その用事のひとつが写真の鳥人間・・・ではなく鳥オルガンの組み立て。「大人の科学 vol.20」の付録です。鳥オルガンは鳥にメロディーを教えるための小型手回しパイプオルガンで、18世紀のヨーロッパで使われていたものだそうです。

「誰でも30分ほどで組み立てられます」って本当ですか~?小学生の頃「学習」と「科学」を毎月とっていて付録も楽しみだったけど、「科学」のほうの付録は組み立てて動いたためしがありません。「今月も動かないのか、ふ~ん」とやりすごして済ませていたのは、理数系ダメ人間の片鱗だったか。ははは。ピアノの稽古とかなら、もう少し根性あるのよ・・・

組み立てたら(やはり30分では足りなかった)、次は黒いウレタンパッドの差し込み具合を調節しながらチューニングです。チューニングは、ちょっと大変。音はヒヨヒヨしながらも、想像していたより意外と大きいです。そしてパンチカードに穴をあけます。パンチカードは、ハンドルを回してパイプの下をくぐらせる紙のカードで、出したい音を出したいタイミングと長さでもって出せるように、穴をあけます。MIDIをやる人は、ピアノロールに近い感じと思ってくださればOK。

数曲のパンチカードのなかに、栗コーダーの近藤さん作曲「小鳥のエチュード」があって、今回「大人の科学」を買ったのはこれが目当てでした。さて、さっそく聴いてみよう・・・???・・・(@_@)・・・あらら・・・パンチカードがすんなり送れていないようで、どんな曲だかわからないです。セロテープでつないだところなんて、完全ストップ。これじゃあ、小鳥にだってわかるまい。あー、思い出される小学生時代・・・でもさすがに小学生ではないので、チェックするところはチェックして直しましょう。曲もいきなり「小鳥のエチュード」ではなく「もみじ」あたりから、ちゃんと鳴らせるコツをつかみましょう・・・と思いながら、お盆休みが終わってしまいました。ふんふん。

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2008年5月15日 (木)

音楽浴!

ちょっと日にちが経ってしまいましたけど、5月4日はNHK教育「クインテット」の演奏でおなじみ 宮川彬良 &アンサンブル・ベガのコンサートに行きました。

アンサンブル・ベガのメンバーは関西ゆかりのオーケストラ首席奏者の方々で、宝塚ベガ・ホールを本拠地として10年活動してこられました。私は「クインテット」を見てファンになり、生の演奏をぜひぜひ聴きたいと願ってきましたが、今年 1月に続いての東京公演に、今回行くことができたのです。

会場の東京文化会館小ホールは、小さな編成のクラシック音楽を聴くためのホール。久しぶりに来ましたよ。よく響くところです。最前列の席でも、何もきついと感じることはなく、気持ちよく聴けました・・・そういえば、私の夫@プログレ好きも「いい音だねえ」と、ボソッと言ってました・・・

クラシックのコンサートも、最近は曲の合間に和やかなトークを聞けることが多くなりましたが、今回はかつてないほど笑った!彬良さんのお話や、意外な小道具登場(は○○○き とか)に笑いながら、巧みに音楽へ引きこまれ、ジワッと涙が出そうにもなり・・・私は 1曲目の「すみれの花咲く部屋」から泣きそうになったけど・・・まずい、早すぎる・・・小さめのホールというのが、またいい空気を醸しだしていて本当に上質な時間を過ごしました。

この日のプログラムは「ぜったい心に効く音楽浴!」をテーマに、盛りだくさん。「すみれの花咲く部屋」に始まり、前半は「クインテット」でもおなじみのクラシック曲あり、笑いながらも音楽の組み上がっていく様を目の当たりにできる「音符の国ツアー」あり、モーツァルトが顔を見せるビートルズナンバーあり・・・後半はブリテンの「シンプル・シンフォニー」でスタート。オペラのアリア、そして彬良さん作曲「室内楽のためのソナタ ブラック・ジャック」をじっくりと。アンコールでは「クインテット」テーマ曲、「マツケンサンバ 温泉バージョン」も聴けました。

「マツケンサンバ 温泉バージョン」は絶対生で聴きたかったんです。1日を微笑みで締めくくれそうな、大切な思いにリボンをかけるようなムード。大好きなんです。

こんなすてきな音楽浴、ぜひまたしたいです♪

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2008年5月 6日 (火)

鳴ってこそ

先日テレビで、ギター愛好家の所有する名器をプロの奏者たちが弾く、という趣旨のコンサートを見ました。おもしろかった・・・楽器の個性を、演奏家の個性が包み込んで、花を咲かせて。どの演奏も聴き手に心地よさを与えつつ、緊張感の糸が切れることなくピンと張っていて。

楽器って見ているだけでも美しいけれど、やはり鳴っているときが一番生き生きと見えます。名手に魅力を引き出されたら、なおさらですね。

携帯に入ってる着メロ音源も、実は楽器なんですよね・・・姿は見えないけど。着信を知らせる機能が半分、音楽が半分の楽器だと私は思ってます。着信音として役に立ちながら、着メロゆえのハンデは各種あっても、音楽面で良いと感じていただける作品を作らないとなあ・・・とココロを新たにしたのでした。

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2008年4月 9日 (水)

そのへんの音域

「たられば」の話はちょっとみっともないですけど、もし何の気兼ねもなく楽器を弾き続けられる環境にあったら、チェロを練習して少しは上手になりたかったです。ほんの少し習っただけで、もう弾くこともないだろうと楽器を手放してから十ウン年。今でも誰かが、あの子を弾いてくれているといいな・・・なんて思いつつ、演奏のほうは弾けるはずのピアノももはや「よっこらしょ」という感じ。パソコンに向かって着メロ作る人になってます。

ただ、弦への思い入れのようなものはず~っとありまして、弦の音、とくにチェロを拾うときには気合いが入ります。ちょっと聞こえづらい音域ではありますが・・・合唱にたとえるとソプラノ、アルト、テノール、バスのうち一番聴き取りやすいのはソプラノ、ついでバス、アルト、もっとも聴きにくいのがテノールです。前後の音の動きからはかったり、和声の知識もちょっと動員して「これだ」と判断することになります。

チェロの音域はテノールあたりになるので、もうヒーヒー言いながら、それでも自分が好きな楽器だから個人的に意地を張って聴き取ることになりました。ヘッドホンつけて注意深く何度も聴いていると、曲によりますけど、チェロの音が浮かび上がってくるような感じになってきます。

そして、そのへんの音域が大活躍する楽器がもうひとつ。それはギター・・・・ギター弾いたことない。奏法もよく知らない。とういうことはですね、音を拾いづらい音域だからといって、適当にアレンジしてそれらしく聴かせるということが出来ないsweat01素直に必死に、耳コピするしかないじゃないの。ふんふんふんふん。個人的に、意地を張るわよ。
ギターの音はざっと聴いただけではまず拾いきれなくて、よく聴き直してみると「ここにも、ここにも、まだ音が隠れてる」という具合です。拾える限り拾います。

そのへんの音域を聴くことに関しては、ここ数年でけっこう鍛えた感があります。チェロ好きがここへつながるとは、自分のことながら予想外。ほほ~。
なんだかオチのない話ですみません。そろそろ、このへんで。

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2008年3月25日 (火)

ギターを聴いてきました

楽しみにしていた大萩康司さんのリサイタルを聴きに、大宮ソニックシティへ行ってきました(20日)。もちろん先日発売になった新譜「想いの届く日」をロビーで買い求め、もちろんサイン会にも並びましたです♪

プログラムの前半は「想いの届く日」に収められたポピュラー曲がメイン、後半には現代曲が並びました。私には耳に馴染んだ曲が多かったし、今回は夫(プログレ好き)も一緒に聴きに行ったんですけれど・・・前半は知ってる曲が多く、後半もプログレ好きのハートに通じるものがあったのでしょう・・・二人しておおいに楽しみました。

リサイタルはアルバムタイトルにもなった「想いの届く日」からスタート。初めて聴くのになぜか懐かしく、話しかけてくるような親しみやすさです。

演奏会というものが素晴らしいのは、目の前で、美しい音で、ルーチンな日常(だいたいは急いでいる)にはありえない時間の流れが組み上げられることだと思います。その振動に、呼吸感に触れることで、体の感覚が本来の穏やかな状態へと解きほぐされていく・・・柔らかな陽の光や、風のそよぎ、花の美しさ、いつもさりげなく語りかけてくれるものたちの存在を感じ取れる感性が、目覚めてくる。体じゅうの細胞が喜びに満ち足りていき、その喜びはやがて生きる力に変わる。大萩さんの演奏はとくに、私にとって大きな力になっています。

アンコールの「さくらさくら変奏曲」もよかった・・・「シーズンものは、そのシーズンに」ほんとにそうですね。春のぼうっとゆるんだ空気のなかで聴くのが、いちばんの贅沢でしょう。

良い音楽で、良い 1日になりました。

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2008年2月28日 (木)

オルゴールで作るのは

最近「ふくみみパラダイス」へ来てくださるようになった方のなかには、どうしてオルゴールが多いの?と思われる方がいらっしゃるかも知れませんね。その理由は・・・自分の好きな音楽がアコースティック系で、小編成のなか弦楽器が活躍する曲が多いのですが、その表現が難しすぎるから。弦の音を数字いじりでリアルに表現しようとしても、苦労する割には「こんなですか」という結果しか得られないように思うからです。

一般にシンセ系の音ですと、欲しい音を作ったあとはオンとオフの操作で「発音する、しない」をコントロールすることがメインになります。これに対してアコースティック系の音には、オンとオフの操作だけだと「その楽器らしく」聞こえないものが多々あるのです。
とくに弦のソロは、生き物のようです。奏法によって音が減衰したり持続したり、音の色も立ち上がり方も多彩なところへ、さらに、発音中に音が膨らんだり、明るさが変わったり、減衰のしかたもケースバイケースで、とにかく変化が大きい。そういう変化を追いかけて、出来るだけ再現を試みようと頑張ったこともあるのですが・・・弾いたほうが早いんですよね・・・弾けるなら・・・

弦楽器を弾く人が、そんなにも多彩な音色を「ここは、どこのバンクの何番の音色でいこう」なんて打ち込みするように考えて弾き始めるはずがない。「どこどこの数字を何パーセント動かそう」とか「これ以上はエラーが出るから無理」なんてありえない。
だいたい音源に入ってる弦の音色は、電気くさい。弦特有の、もっちり音が伸びる感じも、ふくよかさも、つややかさも無い。数字いじりなんかじゃ、リアルには程遠すぎる。数字なんか、もう見たくもない。どだい理数系はきらいなんだよannoy・・・イライラの矛先が、見当違いな方向へ行ってしまいました。でも正直なところ、弦の入力では数字いじりを一番空しく感じるのです。

弦のソロにおいては、実際の演奏とデータとの間にどうにも埋めがたい溝があると思います。音の不自然さを気にするよりも、曲の美しさを前面に出したくてオルゴール仕立てにしています。オルゴールは減衰音ですけどね、弦楽器がメロディーを歌わせるハートをもって作っていきたいです。

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2008年2月22日 (金)

録音とライブと

着メロ制作を通して音作りやミキシングを考えるなか、最近ふつふつと疑問に思うのは「クラシック系のCD制作では、どれくらい編集の手がはいるものなのか?」ということでした。

クラシックはノーミスで弾ききるのが原則。でも録音ということで「切ったり貼ったり」の編集を、普通にするの?複数の演奏者がいるとき、セクションごとに録ったりするの?音作りは、エレクトリック系ならばツマミを動かすことが基本だけれど、クラシックは演奏者の身体感覚で生みだすもの。身体感覚から紡ぎ出された音を、演奏者以外の人の手で加工することがあるの?

などなど頭の中に?が飛びかっていたところ、井坂紘さんの「一枚のディスクに ― レコード・プロデューサーの仕事」を読んで疑問が氷解したのでした。

「切ったり貼ったり」は当然で、演奏会では出来ないようなチャレンジも大いにしながら、最高の演奏を作りあげる。
楽器間の音量バランスは、基本的に作曲家が計算済み。楽器ごとにバラバラに録音したものを、フェーダーの上げ下げで調節することはない。ただ音楽的に重要なのに埋もれて聞こえづらいような部分に関しては、その楽器の音を持ち上げる場合がある。
音の加工については、楽器の近くで録った直接音と、遠くで録った間接音とをミックスする。

なるほど、パーフェクトな演奏で、程よく響きながら輪郭もくっきりしたCDの音は、そうやって作られるのですね。

演奏会でそのように聞こえる席に座って、じっくりと聴けたらラッキーです。
頻繁に演奏会に行ける人なら「このホールでは、このあたりの席が良い」と知っているのでしょうが、そんなに行けないし、知っていても席を選ぶなんて出来ないことが多いし・・・。

大きなホールで舞台前の席だとビジュアルは良いけれど、音は頭の上をすっ飛んでいきます。上層階の後ろのほうで意外と心地よく聴けることもあれば、音楽といっしょに上がってくる客席の雑音を聴くことになってゲンナリという場合もあります。
なかなか良い席であっても、近くにマナーの悪い人がいないとは限りません。
演奏家も不調なときがないわけではないし、そんなこんなで、言葉は良くないですけど当たりはずれがあるのがライブ。CDでそういうことはありません。

しかし、それでも演奏会に行きたくなるのは何故でしょう?スピーカーやヘッドホンで聴く録音と、ホールで聴く生音はどこが違うのか・・・
楽器から生みだされたあと壁や天井に当たって反射した音を、直接浴びるように聴くのが演奏会(スピーカーで聴くのとは違う)。頭の中で聴くのではなく、全身を音のなかに置くのが演奏会(ヘッドホンとは違う)。それとホールでは、CDの規格ではカットされてしまう周波数の音を含めて聴くことになるのも、案外と大きな要素かもしれませんね。そして何よりも、音楽が生まれる、その空間に居られる喜び・・・ただし、当たりはずれがあるのね・・・

CDは演奏家の音を最も良く聴ける状況を出来るだけ再現して、そのとき最高の演奏、その粋を集めてギュッと詰め込んだもの。部屋で聴けば、部屋の雰囲気が変わる。移動しながら聴けば、聴く人の心持ちが切り替わる。演奏会へ出かけない普通の日々が、演奏家のパワーで色合いを少し変える。ありがたいものです。

CDと演奏会=録音とライブとを両方楽しめるのは、今の時代に生きてる幸せなのかもしれません。どちらがいいかなんて、考えるのも野暮ったいな。私には両方必要だもの。
とにかく、全身全霊で美しい音楽を届けてくださる演奏家に感謝の日々です。

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2008年2月14日 (木)

笛日和

日曜日、栗コーダーカルテットのコンサート「笛日和 2008」を聴きに松明堂音楽ホールへ行ってきました。響きの良い、小さなホールです。

栗コーダーのライブは 7ヶ月ぶりになります。もっと行きたいのだけど、さてチケットを買おうと思ったら既に売り切れということが続いてました・・・ひょっとして、チケットを取る機動力が落ちすぎではなかろうか・・・というわけで、今回は発売初日にばっちり電話予約しましたです。

84席の小さなホールは舞台と客席の距離が近く、PAなしの音を心地よく聴くことができました。
やはりウクレレとギターは全然違うし、リコーダーとアンデス25も全然違う音です。そしてCDで聴いているときには気がつかなかったけれども、ふっくら胴鳴りするギターと、隣のテューバの音とが共鳴して広がっていくのが、とても幸せな感じでした。

聴き慣れた曲も、初めて聴く曲もあたたかでした。
なかには演奏が上手くいくかどうかは「いちかばちか」なんていう曲もあり・・・そういうとき、なぜか客席は「がんばれ・・・がんばれ・・・」というムードになるのがまた面白いところです。ライブは楽しい♪ぜひぜひ、また出かけたいです♪

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2007年12月31日 (月)

ギターをめぐる、ゆく年くる年

今年も暮れていきます。
気がつけばここ数年、着メロ制作のおかげで(?)ヘッドホンを着けて音楽に接する時間が長いことよ(しかも数字をいじりながら聴いている)。たまにコンサートへ行くと、空気を介してふわっと体に染みこむ音に癒されます。頭のてっぺんから足の先まで、風通しが本当に良くなる気がします。

私はやっぱり「コンサートでコブシを振りあげる」派ではありませんです。想像力を全開にして音を聴き、頭の中を遊ばせる感じがしっくりきます。うん、これで良いのだ。

あまり頻繁に書きすぎるのもどうかと思うので、聴いてすぐには書かなかったのですが、今年のコンサート聴きはじめは東京交響楽団のニューイヤーコンサートでした。大萩さんのソロでアランフェス協奏曲。曲の途中で、弦のピチカートとギターの音がほんとに美しく溶けあうところがあり、その美しさにひたりながら、弦とギターは相性良いのだなと感じ入りました。心揺さぶられる、すてきな時間でした。

思えば「自分が実際には演奏できない楽器の音でも聴き取って、着メロ音源で再現する」という作業を日々しているわけですが、最もチンプンカンプン度の高かった楽器がギターでした。そのギターを親しく感じられるようになったのは、大萩さんの演奏をたくさん聴いたおかげです、きっと。

そして 9月に聴いた「ギタリストたちの饗宴 2007」がまた楽しかったのでした。 3時間45分に長きにわたったけれど、ギターのソロ、デュオ、トリオ、カルテット、クインテットと音の色彩を様々に届けていただいて、全く飽きることがありませんでした。

メロディーと伴奏が同時に弾けて、メロディーにビブラートをかけられて、ピッチを動かせて、楽器を持って歩けて、いいな、ギター。ずるいぞ、ギター。なんてギターを絶賛していると「そんなに好きなら、ギター弾いちゃえば」と言われたりするのですが、弾くとなると「爪のお手入れ」がなあ・・・接着剤で補強とかするみたいだし・・・気合いを入れてお手入れしても、15分後ぐらいには壁にぶつけてポキポキ折りそうな、わたくしはソコツモノ・・・。

ともあれ、この上なくすてきな時間をくださる演奏家に、心からの感謝を。
来年も、良い音楽を聴けますように・・・。

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2007年12月17日 (月)

今年も浜離宮へ

今年も大萩康司さんのリサイタルを聴きに、浜離宮朝日ホールへ行ってきました(7日)。

数年前にはギター曲をほとんど知らなかった私ですが、大萩さんの演奏を通して、好きな曲が少しずつ増えました。今回「名曲の愉しみ」と題されたプログラムの曲には、そうして親しんできた曲がいくつも並んでおり、うわ~、嬉しい。

夏にライブハウスで聴いた曲も結構ありましたけど、あのときはスピーカーのそばの席で爆音疲れした記憶が・・・やっぱりクラシックは、空気を伝わって届く生音がいいです。

ますます磨きのかかった、まるくて優美な音。心地よい呼吸感をもって奏でられるギターは、聴き手の心のどこか淀んでいたところを、無理な力をかけることなくほぐしてくれます。
アンコールの「そのあくる日」なんて本当に何度も聴かせていただいた曲なのに、また涙が出ました。この世にはまだ美しいものがあるのだな、と思いました。

来春にはニューアルバムをリリースとのことで、こちらも楽しみです♪

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2007年12月12日 (水)

目に見えるかたち(その2)

データの数字をいじるとき、必ず「こんな感じにしたい」という作り手の意図があります。

人間どうしなら言葉で「こんな感じにしよう」とまとめられますが、パソコン相手の場合「こんな感じ」とはどんなものか事細かに明らかにし、根気よく数字に変えて伝えるのです。その曲、そのフレーズごとに、楽器ごとにです。

なかにはどうしても表現不可能なこともあるし、アラが目立たないよう苦心する場合もあります。ただ不思議なもので、全然音楽的にならないという訳でもありません。

私は理数系ダメ人間なので、データ制作上の技術用語や数字そのものを楽しいとは全然思えません。ですがデータを作る過程で、言葉にさえなっていなかった「こんな感じ」が徐々にハッキリしてくる、これは本当に楽しいです。
そしてデータを作っていなければ、自分が実際に演奏出来もしない楽器の表現について、考えることはなかったでしょう(ちなみに、私がまともに演奏できると言えるのはピアノだけ)。

何かに気づいたとして、それを表現出来るのかどうか。その判断をし続けるなかで、色々な楽器の音に耳が開いていきました。私にとっては、大収穫です。(その 3へつづく)

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2007年11月28日 (水)

目に見えるかたち(その1)

むかしクラシックピアノの練習をしていた頃、曲を練習するごとに新しかった楽譜の背表紙に折り癖がついて広げやすくなり、どんどん楽譜に書き込みが増えていき、自分の手もその曲になじんでいくことが楽しみでした。

たとえ弾けない曲、弾けない楽器の曲でもCDなど聴きながら楽譜を見るのは好きでした。100年、200年前の作曲家には会うことも叶わないけれど、楽譜があるから演奏家の録音もあるのです。楽譜を通じて、音楽は友達のように寄り添ってくれました。当時はストーリーを辿るように楽譜を見て、メロディーを追いかけていたと思います。

楽譜があまりにも身近だったので、楽譜がある意味など考えもしませんでした。

人にピアノを教えるようになって、補助教材を作ろうと始めたDTM。打ち込みそのものも慣れなくて大変でしたが、それより楽譜どおりに打ち込んだとしても音楽的と言うには程遠い音しか聞こえてこない現実に、打ちのめされました。「こいつは機械なのよっ」と自分の技術のなさを棚に上げて、キレていたあの頃・・・

楽譜を見ての演奏には「楽譜に指示がなくてもこうする」というノウハウが、意識していなくても相当混じっていると思います。クラシック系楽器のレッスンを受けると、楽譜の読み方や奏法とともに、そうしたノウハウも体得していくことになります。その土台がしっかりしてはじめて演奏が音楽的に聞こえ、それにプラスされるかたちで演奏者の個性が花を咲かせるんじゃないでしょうかね。

楽譜にいちいち書かれないこと。それはテンポの取り方だったり、音と音との間合いだったり、自然なアクセントの位置だったり・・・色々とあります。けれどもクラシックでない曲の場合には、楽譜があるとしても、クラシックのノウハウはまず通りません。私は、何でもきっちり数値化しないと伝わらないパソコンに向かってはじめて、楽譜と実際の音とのあいだにある距離を意識したのでした。

楽譜があるから、演奏時間の長い曲でも、大人数で演奏する曲でも、曲の内容を目である程度把握できます。でも楽譜は決して「何でも事細かに書いてあるマニュアル」ではありません。(その 2へつづく)

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2007年10月16日 (火)

さて、これから

7月よりコツコツ取り組んできた「笛社会」の着メロ制作も、残すところ「夢のエキスポパイプ」 1曲となりました。ただいま★鋭意制作中★です。

今後も栗コーダーの曲を増やしてゆくつもりですが、どんな選曲でいこうか思案してます。だんだん寒くなるし、そろそろクリスマス向けの曲もいいかもしれませんね。
それと自分がクラシックの出なもので、聴くのは楽しくても制作はちょっと敬遠&先送りにしてきたロック系の曲たちにも、今の力の精一杯で挑戦してみようかしらと思っています。1曲も楽譜の無い「笛社会」をコピーすることが出来たし、そろそろいいかな・・・私が作ると、どう頑張ってもクラシックくさいかもしれないけど・・・

もし栗コーダーの曲をCDなどで聴いたことがなく、楽譜を見てデータを起こすとしたら、私は相当クラシック的に表情をつけて作ってしまうと思うのです。耳コピしているとクラシックとは違うと感じることが結構あるので、いつも聴こえた以上にうっかりクラシックっぽくしないように、クラシックにしないようにと心がけて作ります。

ロックはねえ・・・嫌いとは思わないけど、音楽の重心がかなり低いところで固定されるのがちょっと・・・ビートに乗り続けるのがちょっと・・・コブシを振り上げるのがめんどくさい・・・爆音がちょっと・・・という訳でわりと短時間のうちに飽きちゃうのです。わははは。ほっといてください。リコーダーやアンデス25が主役なら、大好きです。

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2007年10月 2日 (火)

アンデスが来た

Pap_0025 「アンデスが来た」ではなくて、正しくは「アンデス25Fが届いた」ですね。うふふふ。待ってたよ~。
「やる気のないダース・ベイダー」などでメロディーをとっている楽器です。
今まで遠目に見ることはあったものの、あらためて手元で見ると小さくてどこか懐かしくて、なんというか教育用楽器の風情がありますね。
色は写真で伝わるかどうか、例えるなら抹茶のような緑です。もし色違いでピンクがあったりしたら、ペアで持っちゃうんだけどな♪桜餅みたいな組み合わせで可愛いに違いない・・・なんて考えるのは私だけでしょう・・・
届いたのが夜だったこともあり、控えめにドの音を吹いてみたら「ぴー」と何だかやる気のなさそうな音が出て爆笑。これだ、これだ、これだ、これだ~。

私、着メロデータを作るときはリコーダーにしても何にしてもなるべくそれらしい音が鳴るよう心を砕いていますけど、演奏のほうが得意というわけではありません。リコーダーは高校生のとき吹いたきりしまい込んであって、今から吹くとなれば初心者レベルから特訓しなければ、指遣いも息づかいもヨレヨレです・・・ははは・・・
アンデスは鍵盤の指遣いで弾ける(吹ける)ところが、すこし気楽。ピアノ出身者としては、持って歩ける楽器というのもチャームポイントに感じます。あちこち連れて行こう。ぴー。

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2007年9月26日 (水)

ブログパーツ♪

CDジャケットのブログパーツが、表示したいCDを16枚まで選択OKになりました( LoveJacket mini2 )。
栗コーダーカルテット、クインテットをはじめ、私のお気に入りさんたちが次々にスライドで登場しますので、このブログへ来た記念に(?)見ていってくださいまし。LIST をクリックすると一覧が出ます。

(アフィリエイトではありません、念のため)


★★追記★★
どうも調子がよくないので、このブログパーツを置くのはやめました。

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2007年9月21日 (金)

ピアノ聴いてます

時々、すごく「ピアノを聴きたい」モードになるんです。
久しぶりにピアノ協奏曲を聴いてます。最近リリースになった、モーツァルトのピアノ協奏曲24番&シューマンのピアノ協奏曲のCD。ソリストはエフゲニー・キーシンで、コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団との共演です。
モーツァルトはまあまあ好きな曲、シューマンのほうは大好きな曲ですので、何度もリピート再生してます♪

シューマンのピアノ協奏曲は「ウルトラセブン」最終回で使用された曲でもあり、その方面からご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。
前にも書いたけれどピアノは音域が広く、音が立ち上がるときに他の楽器とは違うアタック感があり、発音数の制限が殆どなく自由に音を重ねられます。たったピアノ1台でも、音楽のうねり、音の厚みなどがずっしりと伝わってきて「楽器の王様」と称されるのも頷けるところ。
この曲はそうしたピアノのスケール感を存分に感じさせると同時に、聴く人の琴線に触れる叙情的なメロディも散りばめられています。なんていうか、ピアノ好きにはたまらない作品です。作曲されたのは1845年。162年も前に作られた曲が、こんなに瑞々しく心に沁みるとは。あー、楽譜があってよかった。こういう曲を耳コピで伝承するのは、いくらなんでも無理でしょう・・・楽譜って音楽の何もかもを書き記せるものではない、それを頭の片隅に置いておく必要はあるけれど「これだけの音で設計しました」と人に伝えるツールとしては本当に優れていると思います。だいたい電源を入れなくても使えるところからして便利・・・あれ、話がそれすぎましたね。

そして同じ楽譜を見て演奏しているはずなのに、人によって違う音楽となるのがクラシックの醍醐味です。
キーシンのピアノを聴くと、月夜の海へ漕ぎ出す静けさを思うときもあれば、大きな波に乗せられるような心地になったり、高い塔を見上げているかのように感じることもあります。ダイナミックな表現のところでは低音が効いて重量感がありますが、それよりドライブ感が前面にきて現代的な印象です。
このCDも、そういう魅力に溢れています。

キーシンは、ここのところ1年おきぐらいのペースで来日していますので、なるべくリサイタルを聴きに行くようにしています。毎回スタンディング・オベイションです。私も「同じ時代に生きててよかった」と思いながら、感謝をこめて拍手を送ります。

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2007年9月 7日 (金)

「クインテット」好きです

「クインテット」のオルゴール作りは【超】楽しいのです。なるべく生き生きと歌っているように仕上げたくて、クラシック系ですのでテンポ調整に苦心することが多いけれども、頑張ってます。

「クインテット」に出てくる歌は子供に親しみやすいのは勿論、大人だってついつい口ずさんでしまいます。むかし歌ったなあ、という懐かしい曲も沢山出てきます。番組オリジナル曲のほうは日常の言葉を楽しく膨らませ、転がした、遊び心いっぱいの歌詞に、耳に残って覚えやすく、歌いやすいメロディのオンパレード。
伴奏はアコースティック楽器の音が自然な呼吸感をもって、美しく伸びやかに響きます。その演奏は真剣でありながらも親密で、愛情たっぷり。またパペットたちが演奏する姿のリアルなことといったら、感激ものです。

番組後半は「間もなく開演・・・」のアナウンスのあとコンサート仕立てになり、ちょっとおしゃれしてホールへ出かけるムードのなか、クラシックの名曲を聴くことができます。これがまた良いのです。
名曲は名曲なだけに誰でもひとしきりハマる時期があり、そのうち「今頃これを聴くの?」という扱いになったりします。プロもアマも演奏するけれど、あまりにも名曲すぎて陳腐に思えたり、「みんなが知っている曲だからミスすると目立つ」というプレッシャーにつぶれそうになったり、はたまた過剰な思い入れがこめられたり・・・なんてことがセットになってしまいがち。名曲って案外、素直に触れられない面がある。でも「クインテット」で聴く演奏は、そういった余計なものを一切抜きで味わうことができ、やはり良いものは良いのだと感じます。
原曲が迫力あるオーケストラ曲でもピアノ曲(音が減衰する)でも、クインテットのアレンジではメロディが主にヴァイオリン、チェロ、クラリネット、トランペットでくっきりと、ふくよかに奏されて、歌としての魅力がより鮮やかに浮かび上がります。よく知っているつもりの曲でもとても新鮮に聞こえて、古くて新しいクラシックの魅力を再確認。

「クインテット」は日常の中に溶け込むコンサートだと思います。コンサートはもともと非日常なものだけれど、それがテレビを通じて普通に日常の中にあり、聴く人をさりげなく元気づけてくれます。有難いです。

それで話は違うのですが、指定したアーティストのCDジャケットが入れ替わりで表示されるというブログパーツを見つけたので、アーティスト「スコア・シャープ・アキラ・アリア・フラット」にして左下へ貼り付けてみました。よかったらご覧ください・・・「クインテット」関連のCDはもっと出ているはずだけれど、なぜか2枚しか表示にならない。まあ、いいか。2枚でも楽しいわ・・・

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2007年8月24日 (金)

Classical Guitar on a Summer Night

最高気温が40℃を記録したところもあった16日、スイートベイジル(美味しいハーブ料理がいただけるライブハウスです)へ大萩康司さんのギターを聴きに行きました。大萩さんのライブは4ヶ月ぶりぐらい。ライブハウスで聴くのは初めてです。

ステージ近くのカウンター席に座りました。舞台の大萩さんがよく見え、ビジュアル的には非常によかったです。ただ、マイクを通した音が大きすぎるのがちょっと・・・席へ案内してくれたお兄さんは「今日はギター1本で、爆音じゃないから大丈夫ですよ」と言ってくれたけど、いやはや、クラシック的には結構爆音だったと思います・・・とくに太い弦の音は、きつかった。コンサートホールとは勝手が違うと承知していますが、できればクラシックギターは、あのくらいの空間であればマイクを通さない生音で聴きたいです。

それはさておき、大萩さんはいつものように誠実に演奏してくださいました。プログラムの前半は武満徹編曲「ギターのための12の歌」をメインに、後半はブローウェル「舞踏礼賛」、S.アサド「アクアレル」、あと曲名を思い出せないのですが、先日白寿ホールの公演で白熱した演奏になったというスペイン系の曲・・・などなど。大萩さんはメロディーを大らかに歌わせ、またタイトなところは思いっきりタイトに奏するのが、いつも素敵です。レイ・ゲーラ氏の新作も、近々聴くことができるのでしょうね。とても楽しみにしています。

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2007年8月18日 (土)

クラシック人間がデータを作る(長文です)

前に書いたのと重なることもあるのだけれど、ちょっと考えをまとめてみたかったのです。やたら長いので、お時間のある方のみ、お付き合いくださいね~♪

クラシックを演奏する人にとって、楽譜は欠かせないもの。楽譜の読み方は、身体のあやつり方とほぼ同時進行で身につけていきます。長い間のトレーニングを経て、楽譜を読むことと演奏することの間には滑らかな回路が出来上がります。子供の頃から取り組めば、尚更です。「楽譜は読めるけれど、上手く演奏するにはもっと練習しなければ」ということは多々あれど「クラシックをきっちり演奏できるのに、楽譜が全然読めない」というのは稀だろうと思います。

まあ私も平凡レベルながら、読んで弾くのが当たり前なクラシックのピアノを弾いていた訳ですが、データを作るようになって驚いたのは「楽譜に書いてある情報量って、こんな程度なのか」ということでした。楽譜をそのまま打ち込みしても、音楽的な演奏にはほど遠く、情けないほど機械的。人が楽譜を見て演奏するときには、そのときその曲によって違う呼吸感をもたせるものだし、身体感覚でもって音作りをし、ありったけの想像力とバランス感覚で音楽を組み上げていると思うのです。楽譜に書いてある情報にかなりのプラスαをして、はじめて演奏が成り立つのです。単に「楽譜を読んで弾いている」と思っていても、実際の演奏には、楽譜に書ききれない色んな要素がないまぜになっていたのでした。データ制作を通じて「楽譜に書いてあることと、そうでないこと」を考えざるをえませんでした。

「電子ピアノは、誰が弾いても同じ音がする」とよくいいますけれど、そりゃあそうなんです。だって音作りする場所が、人の指ではないもの。人によって違う音は出ません。音の強弱は伝わりますが、同じ人が例えば指を立て気味にして弾いたり、指のお腹を使ったりして音を弾きわけても、出てくる音に変化はありません。アコースティックのピアノと比べてしまえば、かなり平面的で色彩感に欠ける表現に聞こえてしまうのは確かです。

これはデータ作りにおいても当てはまります。手弾きでも打ち込みでもいいですが、とりあえず音符を入力しただけでは、ピアノに限らず平面的な音しか出てきません。でも音の立ち上がりや減衰がその時々で違う楽器は普通にありますし、同じ楽器でもソロをとるときには細やかな表情が要求される一方で、バックにまわるときには細やかな表情よりもアンサンブル全体の中でどんな色合いを添えるかが大切になってくるものです。つまり平面的な音では、絶対に足りない。平面的でない音を手に入れるには、電子楽器に通じるやり方=数字を動かすことで様々な修正を加える。それで足りなければ、同じ楽器の音色バリエーションをいくつも用意して対応することになります。これ、着メロでは制約が多くて、ちょっと難しいですけどね。

ヘッドホンをつけてジーッとCDを聴いていると、繊細かつ多彩な音色を身体感覚で紡ぎ出してくださる演奏家って、本当にありがたい。データでは、その多彩さに追いつけないでしょう。「気は心」みたいには出来るけれども・・・コンピューターを使って「気は心」ってちょっと変ですね・・・でも素敵な演奏のエッセンスは、盛り込みたいな。

「こんな音が欲しい」というのは作・編曲家の要求であり、演奏家の要求であり、聴き手の要求でもあり、そして楽譜には書ききれないものです。データ作りは、こうした様々な視点をもってまとめあげるものだと思います。着メロの場合は、生活の中での使いやすさと、制作上の諸制約に折り合いをつけることも加味していかないといけませんが。

あ、あと「ふくみみパラダイス」の着メロ制作では柔らかな音作りとともに、呼吸感をとても大切にしています。耳コピのときには出来るだけ原曲のテンポと違和感がないように整え、楽譜を見て作るときには自分で歌いながら整えます。歌ったらどうなるかということをいつも念頭に置いて、テンポ調整には手を抜きません。手間はかかるけれども・・・なにしろうちは「ほのぼの系」着メロショップ。「ほのぼの」を甘く見ちゃダメですよ。硬いキンキンした音に、機械的なテンポでは「ほのぼの」できないでしょ?目指すのはその逆方向、柔らかい音と自然な呼吸感を、数字いじりできっちりと作り上げていきたいのです。そうして出来た着メロが日常生活に溶け込んでいくことを、いつも願っています。

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2007年8月 3日 (金)

コンサート今昔っていうと、大げさな話

中途半端に年を取って、もうお姉さんよりおばさんの域なんだけれど、クラシックはそのときどきの年齢なりに楽しめて良いものだと思います。うんと若いときに好きだった曲や演奏は、その頃の自分の不器用さとか、つらさ、楽しさとともにあったりします。とにもかくにも生きてきたから、そうした音楽を大人の感性で聴きなおすことができるし、同じ時代に生きていて良かったと思える演奏家との出会いも増える。そう思えば、おばさんもそんなに悪くない・・・ということにしましょうかね。

響きの良いホールが増えました。休憩時間にちゃんとカップ&ソーサーでお茶が飲めることも、今はかなり普通ですね。昔は自動販売機の紙コップに入ったのを飲むことぐらいしかできなくて、味気なかったな。お茶ひとつでも、音楽会がトータルで優雅な時間に変わるのです(とくべつ美味しいお茶かどうかは、このさいおいといて)。

演奏家が曲と曲の合間にいろいろ話してくれるトークも、多くなった気がします。演奏家自身が話してくれたことは、通り一遍に曲解説を読むよりも記憶に残って有難いです。

ときおり司会やゲストがいるコンサートがありますね。ただあんまり豪快に話されると、確かにトークはトークで面白いはずなんですけれど・・・聴いているこちらは、マイクを通した元気な声と繊細な生音とを、スイッチ切り替えて聴くことになるので、妙に疲れを覚えます。また豪快に曲名を間違えられたりすると、ぶち壊しじゃないの~と思います。

ぶち壊しついでにもうひとつ。繊細な生音が良く響くホールは、客席から発生する雑音もけっこう響いてしまいます。舞台上の音がPAでがんがん拡声されていれば、多少客席で物音がしてもかき消されますし、家でDVD鑑賞しているなら自分の立てる音など問題なしですけどね。これがホールだと・・・たとえば飴の包みなんかをガサガサいわせたらね・・・ちょっと離れた席でも完全にうるさい。雑音が演奏に、かぶってしまいます。

最近は昔よりも大きな音や電子音に囲まれている場面が多いように思うけれど、わざわざチケット買って繊細な音楽を聴きにいくときには、音楽を最優先にしましょ♪

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2007年7月11日 (水)

笛社会リリースツアーに行ってきました

先週金曜日、栗コーダーカルテットの「笛社会 リリースツアー」に行ってきました(LIQUID ROOM にて)。

ヘッドホンつけて耳コピばかりしている私、栗コーダーのライブは久しぶりです。生演奏はいいですね♪振動が伝わってくる感じに、ちょっとウルウルしてしまいました。もうヘッドホンなんてきらいだよ・・・と言いつつ明日も着けますけど (^^;)

なんだかんだと都合が合わず、栗コーダーのライブには何年も行けていませんでした。耳コピばかりの日々でした。

有り難いことに、栗コーダーのCDには曲ごとに使用楽器が明記してあります。ときどき名前を見てもよく判らない楽器があり、そういうときには検索をかけて調べて「ほほー、こういうのか」と思いながら打ち込み作業に移ります。そんな感じで「実物はよく知らないものの、音は知っている」楽器がままあるんですけれど、今回はライブですから目と耳とで色々楽しめました。とくに・・・

あーーっ、あの可愛いアンデス25たち!くつやのマルチンは修行中っぽい(わかる人にだけわかる書き方です)

「笛社会」収録曲のほかにも沢山の曲を聴けて、ほんっとに楽しかったです。帰りに人波をかきわけて、まだ持っていなかったCDを購入、サイン入り色紙もいただきました。けっこう長く栗コーダーの音楽を聴いているけれど、サインを見るのはこれが初めてですね・・・大切にしましょうっと。

ときに「笛社会」の曲はまだ着メロに出来ないのかしらと思いつつ、JASRACのHPを見に行きましたら、ほとんどの曲がOKになっているようです (^_^)v うふふふ・・・それではさっそく・・・

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2007年7月 2日 (月)

美輪さんの音楽会

何度でも足を運びたくなる、美輪明宏さんのリサイタル「美輪明宏音楽会 <愛>」に行ってきました(26日、大宮ソニックシティにて)。

音楽会の始めに、美輪さんと一緒に演奏するセルジュ染井アンサンブルの皆さんが、舞台からご挨拶を済ませると、舞台には最後まで美輪さんお一人になります。

今回は美輪さんの作品とシャンソンのプログラムでした。一晩のプログラムの中で、何人分の人生や思いが伝わってきたことでしょう。女性も男性も、恋に破れた人も、裏切られてなお愛する人も、母を思う人も、年をとった人も・・・とくに「老女優は去りゆく」は圧巻だと思います。

曲によって、歌はもちろんのこと、美輪さんの衣装もストールなどまとって表情を変えていきます。指先もドレスの裾さばきも美しくて、じっくり見てしまいます。舞台装置や照明も歌を引き立て、聴くだけでなく見ることも楽しい音楽会です。

ですので美輪さんの音楽会では、美輪さんの声を聴き、衣装はもちろんのこと、舞台装置や照明の変化を目で追ったり、詩の内容について考えたり、曲のアレンジを聴いたり・・・普通に椅子に座って聴いているのだけれど、私は結構目まぐるしく忙しい感じでいます。

私はセルジュ染井さんのピアノが大好きです。凛と咲く花のように歌へと寄り添い、音楽が勢いまかせにはならず、かといって冷たさを感じさせることは全くないピアノ。「金の星」と「愛の讃歌」はセルジュ染井さんのピアノがたくさん聴けますので、その意味でも好きな曲です。

からだの内側も外側も、本当に心地よくほぐれ、明日への元気をチャージできました。

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2007年6月27日 (水)

あたらしいCD

発売になるのを心待ちにしていたCDを手に入れたとき、まずはリピート再生にしておいて、日常の色々な用事をこなしながらBGM的に聴きます。そうですねえ、BGM的に音楽を流しながらこなす用事としては「洗濯物をたたむ」というのが一番いいのではないかと思います。余計な音は殆ど発生しないし、音楽聴きながら手元の仕事ははかどるし・・・え?主婦っぽすぎますか?

まあともかく、そのように日常へ音楽を織り込んで、しばらく経ちますと、スポンジが水を吸い込むがごとく自分に音楽がなじんできます。耳にとまるフレーズもいくつかあるようになります。そこで初めて、きちんとじっくりと聴いて、ライナーノーツがあれば読み、ジャケットをしげしげと眺めたりするわけです。

栗コーダーカルテットの「笛社会」も、そんなふうに楽しんできました。旅をしているような気分になれる、気持ちがそよそよ波立ってくる曲がてんこもりなアルバムです。今回も、ありがとう・・・

それで総仕上げという訳ではないけれど「笛社会 リリースツアー」に行くことにしています。正直、おしゃれなライブハウスってどうしていいのかわからないのですが(クラシックの人はやだねえ、ははは)。でも、とても楽しみにしています。

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2007年6月15日 (金)

クラシック

学生の頃には、自分と似たような趣味を持つ人が集まりやすく、ほいほい連れ立ってクラシックの演奏会に行ったものでした。でもその後、環境が何度か変わるうちに、クラシックを聴くだのピアノを弾くだの言うと「げっ、つきあえない」という顔をされたり、まるで不思議な生き物のように見られることが多くなり、クラシックって嫌われているんだ・・・でもむしろこれが普通なのだろうと思うようになりました。

そんなに嫌わなくたってさ。まあ私もそれほどコアなものは聴いてないですけどね。「のだめカンタービレ」が大人気なのを横目に「ほーらごらん、ベートーヴェンだってモーツァルトだって全然古くなんかないじゃないのよ」と誰に呟くともなく呟いたりしてます。

私の夫はプログレとハードロックのファンで、クラシックも大迫力ものかプログレに近いものならば楽しそうに聴きます。大萩さんの「アクアレル」に入ってる「バイレ・ファンク」は殆どプログレだと言って喜んでいました。曲の終わり方が「人力フェードアウトだ」とも・・・うーん、クラシックは原則ぜんぶ人力なのですが。私は「人力」という言葉にツボを突かれてうひゃうひゃ笑ってしまいました・・・まあ、家の中ではこんな調子で済んでいます。

むかしカラオケのデータ作成の仕事をやったことがありまして、まあ下請けというやつですが、なかなかハードでした。カラオケも着メロと同様、耳コピで作ります。「ふくみみパラダイス」あたりでは考えられないジャンルや楽器編成が、普通にきて、ひょええ・・・ロックものが続いたりすると疲れてきて「私は重低音とビートから解放されたい」と思うのでした。もすこし上の方へぷかーっと浮き上がって、自由に泳ぎたい。ビートも楽しいけれど、心地よい揺れや大きな波に乗せられるような音楽も、良いもの。

今までクラシックからずいぶん力をもらいました。着メロ作成の技術を持つようになった今、生活の中にクラシックに近い音楽が溶け込んだらすてきだなあと思いながらパソコンに向かい、あーでもない、こーでもないと日々やってます。

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2007年6月 8日 (金)

笛社会

栗コーダーカルテットの新しいアルバム「笛社会」が手元に届いたので、これから聴きこみます。うふうふ。

JASRACのほうで著作権状況がOKなのを確認できたら、着メロを作ってみます。うーん、1曲も楽譜がない(当たり前ですって)。

まずはCD入手のご報告まで♪

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2007年5月23日 (水)

てんこもりから勉強

みなさん、こんにちは。ギターを弾けないふくみみです。でもギターを聴くのは大好きです。

ここのところ初夏の陽気で、ギターの音が心地よく、大萩さんのCDをとっかえひっかえかけています。それで、ひとつ思い出したことが・・・

去年のことですが、楽譜売り場で「本気のクラシックギター 名曲てんこもりBOOK おかわり1」という本を見かけて、私でも知っている曲がてんこもりだよとばかりに買ってしまいました。ギター弾けもしないのに「てんこもり」という言葉で購買意欲が全開になったのです。これが「てんこもり」でなく「名曲集」だったら手に取ったかどうか・・・「てんこもり」って絶妙だ。

奏法の記号や解説はわからないので読みとばし(ごめんなさい)、楽譜を見ながらCDを聴いているうちに思い立ちました。「そのあくる日」のさわりをちょっとピアノで弾いてみよう。それでいそいそ弾いてみたのですが・・・ヴィヴラート不可の楽器ピアノで弾く「そのあくる日」はツルンとした感じで味わいが薄い・・・いえ、第一には私が下手っぴなんですけどね、ははは。でもこれはギターのための曲なのだと納得しました。勉強になりましたです。

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2007年5月12日 (土)

ブツクサ言いながらも

「千の風になって」という歌があります。お墓の前で泣かないで、なんて言われたって泣きます。聴いているだけで泣けるし、まして自分で歌うなんて、たとえ鼻歌でもボロボロになりそうです。

むかし矢野顕子さんのピアノ弾き語り「PRAYER」が素敵だなあと思い、耳コピなんて知らない頃だったので楽譜を買ってきて、ピアノに向かいました。途中で涙が出て、歌うどころではなくなりました。

「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」、あの曲も最後まで歌えません。

何度も練習して、いろいろコントロールを行き届かせればきっちり歌いきれると思うのですが、別に人前で歌うわけでなし・・・人前で演奏なんて、もう絶対いやだ。あがり症を含め、なんか色々揺れすぎて・・・

その点、打ち込みは良いです。徹頭徹尾、クールな頭で音楽を分解→組み立て出来ますもの。私は文章を書くとこんなふうですけど、打ち込みしてるときは結構冷たいんですのよ、おほほ(あながち冗談ではありません)。

理数系が苦手だとか何とかブツクサ言いながらも、私は打ち込み向きなのかもしれません・・・

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2007年5月 1日 (火)

フジコさんのピアノ

先週日曜日、久しぶりにピアノのリサイタルを聴きに出かけました。すみだトリフォニーホールにて「イングリット・フジコ・ヘミング ソロ・リサイタル」です。

音楽の楽しみはいろいろで、技術が一分の隙もなく決まる快感もあれば、パワーで突っ走る気持ちよさもあるし、理論で組み上げることそのものが好きという場合もあると思います。でもフジコさんのピアノから伝わってくるのは、もっと違うもの。心揺さぶる詩情です。

いつもメロディがくっきりと歌われながら伴奏と溶けあい、雨に煙る景色や、水鏡などを思わせます。フジコさんは低音をぐいぐい押しません。また、ここは勢いでもっていくかと思うようなところでも、小鳥が手の中から飛び立つような自由さでふわっと進みます。

プログラムの前半はショパン、後半はリストの作品でしたが、そのなかで印象的だったのはショパンのエチュード作品25-11「木枯らし」です。この曲のイメージは重量感や威圧感だと今まで思っていたけれども・・・フジコさんの音には弾みがあって弾みすぎず、木枯らしで巻き上がる枯れ葉や、冬の陽差し、あるいはどんよりした曇り空が見えるようでした。

ピアノは音域がとても広く、それに右のペダルを踏めば同時発音数の上限など気にせずに音を重ねていけるんですよね・・・同時発音数って、いかにも打ち込みする人の用語ですが・・・幅広い音域の音が重なる美しさと、そのブレンドの妙、ピアノの魅力にあらためて聴き入ったリサイタルでもありました。

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2007年4月12日 (木)

ギターっていいですね

自分で演奏したことはなく、耳コピを通じて音からはいった楽器は恥ずかしながら結構あります。でも全ての楽器について達人になってからデータを打ち込むのは、いくらなんでも時間がかかりすぎて困難・・・それで演奏経験のない楽器については、奏法などの知識を仕入れつつ、聞こえたようにそれらしく、エラーを出さず、あこがれをこめて打つようにしています。

私の場合、とくにギター関係に謎が多かったです。最初は本を読んでも、普通に書いてある用語が分かりませんでした。

「リフって何?」「カポって何?」などなど疑問噴出。コードブックを持っておこうと、楽譜売り場で1冊広げてみたらタブ譜で「なんだこりゃ」。

最近は大萩さんのCDをよく聴いているので、以前よりギター系の音に耳がひらいてきた、と思いたいんですけどね。大萩さんといえば、先週月曜日に「アクアレル」発売記念のプレミアムライブを聴きに行くことが出来ました。会場になった庭園美術館の桜が満開で、このタイミングでここの桜を見られたことも幸運。「さくらさくら変奏曲」ではギターがお琴のような表情になるときがあり、楽しめました。

ギターっていいですね。ひとりでメロディーと伴奏を弾けて、それはピアノとも共通する点だけれど、ピアノと大きく違うのはメロディーにヴィヴラートをかけられること。ピッチを自由に動かせること・・・弦に直接触っているのが強みですね。しかも楽器を持って歩ける・・・いいなあ、うらやましいなあ、とつぶやく春の夜でした。

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2007年4月 7日 (土)

単旋律

「ピアノを弾く人は弦楽器を体験するべき、というのが僕の持論なんですよ」と話してくださったのは、高校の音楽の先生でした。そのときは深く考えもせずに「そうですか」と頷いたのですが、数年後にチェロを少し習ってみて(初心者の域を出ないうちに辞めてしまったけど)先生がそうおっしゃった理由が飲み込めました。

「ピアノを弾く人って、よく右手と左手をバラバラに動かせますね~」なんてよく言われますが、チェロはもっとバラバラな動きだった・・・しかもピアノのように旋律と伴奏をひとりでこなすのではない、単旋律のために。弓のアップダウンや、動かすスピードなどの力配分を計算し、音を延ばしつつクレッシェンドをかけたり、何より音程を自分で作るなどピアノにはあり得ないことでした。呼吸も大切。あと体の無駄な力を脱かないと、全然弾けません。先生に「あなたはこれをやってなさい」と脱力のための体操をするように指示されることが、よくあった・・・

ピアノでも、脱力はきれいな音を出すために大切なことです。でもそれを意識しなくても、ある程度弾けてしまったりします。本人の耳に入らないところで「あの人の音、汚いね」なんてささやかれたりすることはあるにしても。チェロはもう、脱力と演奏が直結!こんなに近いの?という感じでした。

いろいろと積み上げることのすべてが、単旋律を美しく奏でるためにある。それでピアノを弾く友人をつかまえて「単旋律っておもしろいんだよ、奥が深いんだよ」と力説したら、返ってきた答えは「単細胞な人には単旋律が合ってるんじゃないの~?」でした。フン、失礼しちゃうわ。それじゃあ、オーケストラには単細胞な人が大勢いるんですかい?・・・なんていうことはさておいて、チェロはとてもすてきな楽器です。

最近あまり大きな編成ものの着メロを作っていませんが、弦楽4部(5部)がある曲を耳コピするときには、チェロパートの音を気合いを入れて拾います。大好きですからね。弾けない分、あこがれをこめて。チェロパートは他の音に埋もれ気味で、ちょっととりづらく、池の底のほうを泳ぐ魚の姿を追うみたいですけど、音がとれたときには喜びもひとしおです。

あ~、またチェロの音が聴きたくなってきました。CDかけよう・・・

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2007年3月27日 (火)

ロック度

突然ですが、私のなかにはこんな図式があります。

クラシックは自分のホームグラウンド→クラシックと同じ楽器を使う場合でも音の立ち上がりにはずみを伴い、テンポの取り方が違うのがポップス→それに加えて音のエレクトリック色が強く、重心がかなり低いところにあるのがロック

クラシックがホームグラウンドというのは、音楽に接するうえでの感覚がということです。特別に知識があったり、造詣が深かったりということではありませんので、そこのところはご了解ください・・・音楽のノリよりも横の流れを、ついえこひいきするんです。

身内のことをあまり書くつもりはないのですが、私の夫はプログレ&ハードロック好きです。クラシックのコンサートにも付き合ってくれますけど、終演後に「どの曲がよかったか」なんて話になると、二人の意見は殆ど一致しません。ロックが好きな人はたぶん、大迫力や重低音が好きなんでしょうね。

二人して栗コーダーカルテットのコンサートに行ったのは、何年前でしたっけ、たしか初めてティアラこうとうでのコンサートだということでした。私は「あめふりりんちゃん」が聴ければいいなあと思いながら、ほかに予備知識は殆ど無い状態。夫のほうは付き合いで行くみたいな感じだったんですけれど、帰り道には「あの人たちはプログレが好きなはずだ」と言って喜んでいました。プログレが、というよりロックがわからない私は「ふ~ん」と返事をするのみで・・・。そのとき以来、栗コーダーカルテットの新譜などが発売になれば夫がさっさと予約してくれます。

別にロックがきらいとは思わないのですが、ある程度聴くと、重低音とか、ビートに乗っていることとか、エレクトリック系の音には「ごちそうさま、もう満腹です」というふうになってしまって。ロックコンサートに行こうと誘われたことはなくもないけど「立ちっぱなしでしょ~、コブシを振りあげるんでしょ~、疲れるよ~」とか言って、結局行ったことありません。やな人だ。それでも今迄そんなに疎外感を味わった気がしないのは、まわりの人がいい具合に放っておいてくれたのでしょう。

栗コーダーカルテットの音楽を聴いていると、普段は気がつかないうちに折りたたんでいる気持ちのひだのようなものが、全然無理な力をかけずに開いて、あたたかい陽の光にあたるような気がします。ほのぼのとしているけれど全然甘くなく、この山に登りたいという思いで耳コピして着メロを作っています。が・・・なにしろ私はロック度が低いので、そういうタイプの曲については上手く作れないかもです。試聴してください。

いつか書こう書こうと思っていたことが、やっと書けました (;_;)

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2007年3月 8日 (木)

アクアレル

先日発売になった、大萩康司さんのCD「アクアレル」を聴いています。ブラジルのギター音楽作品集です。

E.ジスモンティ作曲「水とワイン」はB.ガケールさんとの二重奏。クラシックギターのナイロン弦から生まれる音は、まるくて、ときに人の声のように温かみがあるのだなあ、と聴きいりました。ナイロン弦だなんて当たり前だけれど、その音を聴けることが嬉しくてね・・・

アルバムタイトルにもなっているS.アサド作曲「アクアレル」は、ひと言ではとても語れない多彩な表情が魅力。アクアレルとはフランス語で「水彩画」の意、とのことですが・・・何ていうんでしょう・・・ぽってりと絵の具を含んだ絵筆や、その筆先から紙へと絵の具が流れるさま、喜びをもって踊っているかのような線、様々な色が混ざって作られる新しい色あい・・・などなど勝手に想像しながら聴いています。ほんとに音の動きが様々で、すてきです。これからも永く、大萩さんの演奏で聴いていきたい曲だと思います。

同じくS.アサド作品の「夢」と「思い出」は日本の映画『夏の庭』のために作られた曲ということで、どこかなつかしく、さりげなく、日なたの匂いがするようです。

E.ジスモンティ作品がもうひとつ。「変奏曲」は、ばりばりに現代曲のムード。電子音のように聞こえる音もあり、これから聴きこんでいくにつれ面白い発見ができそうだな・・・

大萩さんの、メロディーの歌わせ方と、音色がもっとも堪能できると感じたのがH.ヴィラ=ロボスの「5つの前奏曲」。5曲とも個性が全然違っていますけど、どれをとってもギター以外の楽器では表現しきれない哀愁だとか、繊細さを抱えている印象。私は第5番「社交界への讃歌」が好きです。

B.ガケール作品が2曲。「バイレ・ファンク」では空気の熱さが、作曲者との二重奏「チェック・メイト」では心地よいスピード感が伝わってきました。こういう曲を聴いていると「かっこいい」という動機でギターを手にとって弾き始める人の気持ちが、少し解るような気がします・・・

最後に収録されている「イパネマの娘」がまた、ナイロン弦の魅力いっぱいで感動的。

ついまたアルバムの最初に戻り、リピート再生してしまうのでした (^-^)

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2006年12月13日 (水)

大萩さんのリサイタル

先週の金曜日(12月8日)、浜離宮朝日ホールへ大萩康司さんのギターリサイタルを聴きに行ってきました。

プログラムは前半が武満徹氏の没後10周年に寄せたもの、後半はブラジル移民100周年とのことでラテン系の作品が並びました。

大萩さんはいつものように端正で温かい演奏を届けてくださり、トークも特に笑わせる意図は無さそうなのにもかかわらず、会場全体を微笑みムードに包んでしまうのでした・・・

プログラムの前半なかばで武満徹さん編曲の「ギターのための12の歌」から「ロンドンデリーの歌」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」「ヘイ・ジュード」「ミッシェル」「イエスタデイ」が演奏されました。よく知られたメロディーですが、クラシカルな趣をもち、ギターの色んな弦から、様々な色合いで聞こえてきたような気がして新鮮でした。6本の弦のどれを選んで弾くのか、それは作曲家により指定されているものなのか、あるいはギタリストが決めるのか、私はギターを弾いたことがないので全く解りません。けれどギターを知り尽くした作曲家とギタリストの手により、自然な呼吸感と陰影を伴った「ギターのための」歌が確かに聴き手の心へ届くのだなと思います。

良く響くホールで音楽を聴くのは、楽器の胴鳴り感までもふっくらと伝わってきて心地よいです。後半のプログラムも音のまろやかさ、軽さ、揺れ、光の当たるような感じなど堪能し、月並みな言い方ですが癒されました・・・セルジオ・アサドの「アクアレル」良い曲ですね。2月に発売予定のCDに収録されていないかな♪

アンコールの「そのあくる日」はライブでも数回、CDなら数え切れないぐらい聴いている曲だけれど、美しくて涙が出そうになり・・・本当に素敵なリサイタルでした。慌ただしい毎日を乗り切る元気をいただいたようです。

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2006年10月23日 (月)

リコーダー

高校生の頃、文化祭でリコーダーアンサンブルをやった思い出があります。曲はバッハの「小フーガ ト短調」でした。

私はソプラノリコーダー担当で、ヘロヘロになりながら高音を出してました。だってあの曲、指さばきも息継ぎも大変なんですよう。ソプラノリコーダーのほかにはアルトリコーダー、テナーリコーダー、バスリコーダーの4声で、その時テナーリコーダーとバスリコーダーを初めて間近に見ました。

しかしそれから10ウン年も経った或る日、栗コーダーカルテットのコンサートでグレート・バス・リコーダーを見て仰天するのです。あんな巨大なリコーダーがあるんだ・・・大人の背丈か、それ以上は長さがあるではないか。

栗コーダーカルテットを知ったのは「おかあさんといっしょ」で「あめふりりんちゃん」を聴いたときです。なんていい曲なんだろう、と思いました。歌といっしょに流れる映像も愛らしく、音と絵が幸せな出会いを果たしています。そして子供の頃、雨の日に傘をさして歩くことが少しも面倒ではなく楽しかったこと、気がついたら長靴を左右逆に履いていて大笑いしたこと、あの頃はかたつむりなんか普通に見たこと・・・などなどいちどきに思いだし、心が暖まるのでした。潜在意識というものを深く探っていけば、子供なりに日々イヤなこともあったはずですが「あめふりりんちゃん」からは、自分に流れていたあたたかな時間と幸福感だけがふわっと立ち昇ってくるのです。そしてそのあたたかさは今、心をさりげなく洗ってくれます。

「小フーガ ト短調」を吹いたリコーダーは今もうちのどこかにあるはずなんだけど・・・はて、どこに・・・そして栗コーダーに登場するギターやウクレレ、テューバといった楽器には未だ触ったことさえないというハンデがあるけれど、そこはハートでカバーして着メロを作ろうと思います。

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2006年9月 1日 (金)

ギターとチェロ

ふくみみは2年ほど前から、クラシックギタリスト大萩康司さんのファンです。大萩さんのCD、DVDは全部持ってます(にっこり)。

ギターの技術はわからないけれど、大萩さんの演奏からは自然な呼吸感と、多彩で繊細な音色の移ろいが伝わってきます。ときには穏やかな波打ち際の光景、ときには街の喧噪、ぎらぎら照りつける太陽、吹き抜ける風、高い空、転がるような話し声、熱いダンス・・・思いつくままに書いてしまいましたが、大萩さんのギターを聴くと、目の前に風景が広がって見えるようです。そして、じわっと心が温まります。

アルバム「ハバナ」を聴けば気分はすっかりキューバの海辺、そのあと「島へ」を聴いて、やっぱり日本の海辺もいいわなんて思ったり。

大萩さんがチェリストの趙静(チョウ・チン)さんと録音した「10弦の響き」は、ギターとチェロの幸せな出会いです。シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ」なんてチェロ&ピアノの組み合わせでもチャーミングだけれど、チェロ&ギターだとおしゃべりしているみたいに親密で、よく溶けあって、なんだか嬉しくなってしまいますよ~♪このアルバムでふくみみが何度でも聴きたいと思うのは、ピアソラの「タンティ・アンニ・プリマ」です。映画のために作られた曲ということですが、これを最初に聴いたときには、本当にピアソラの曲なの?と思ったぐらい穏やかなメロディ。日だまりのようです。この曲を届けてくださったお二人に感謝、です。

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2006年8月23日 (水)

おんがく遍歴 その6

理数系苦手なふくみみですが、データ制作ではピアノと違って身体の訓練がない分(?)音そのものを物理的に考えていじらなくてはと思いつつ、FM音源での音作りをやってます(PCM音源機種については、なるべくイメージに近い音色を選んでいます。残念ながら、選ぶ以上のことは出来ないのです)。

音作りに限らず、技術って大事ですね。ひとつ身に付くと、ひとつ自由になる感じがします。

DTMを始めたばかりの頃、手弾き入力ではミスが目立ちすぎ、打ち込み(技術のない)では人間らしさを全く感じられず、不満がたまって「も~、こいつは機械なんだから!」とパソコンのモニターに向かって悪態をついたものでした。思い出すと笑えます。機械には、機械に通じるように伝えないといけませんですね。

また「ほのぼの系」というくくりで着メロを制作していますが、クラシックに近い曲とポップスに近い曲を同じに考えてはいけないのだということも、考えさせられました。テンポの取りかたも、音の立ち上がりかたも、音の重なり方も、もちろんノリや呼吸感も全然違うのです。そしてふくみみは「やっぱりクラシックが自分のベース」としみじみ思います。そのあたりがくっきりと見えて迷いが無くなってきたから、そろそろブログを始めようなんて思いたったわけですが・・・思い立ってから実際に始めるまで時間かかりすぎだよ・・・

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2006年8月17日 (木)

おんがく遍歴 その5

やっとDTMの話です。人にピアノを教えるようになり、リズム遊びの教材などを作り始めたのがDTM事始めでした。

当初の入力方法は手弾きオンリーで、弾いた後の修正なんか邪道だわ!と思ってました。なにせクラシックの人なので、まず練習と気合で乗り切ろうとしたのです。でもなまじ鍵盤出身のため、指の強弱やら微妙なタイミングやらがやたら気にかかり、何度弾き直しても満足できません。ミスはミス、アラはアラ、目立ちすぎます。弾き直して、また別のアラを生み出すよりも修正しましょ、と方向転換。はい、直します。そのうち、手弾き入力後に神経質な修正をするよりも、まずフラットに打ち込んでから表情を肉付けしていくほうが自分には合っているようだ、と気づきました。いまの着メロ制作は100%打ち込みです。

ふくみみはDTMからかなり遠いところに居たような気がします。クラシックのピアノもチェロもアコースティックが原則ですので、電源なし、配線なし。思い通りの音を出すためには体をじゅうぶんに脱力させ、コントロールが行き届くように訓練を積むこと。ツマミを回すとか数字をいじるとか、波形や周波数を考慮に入れることは一切無いのでした。ちなみにふくみみは学生の頃、理数系のお勉強とはなるべくなら関わりたくないと思っていたクチでして(要するに苦手)、音作りにこなれていくのにも時間がかかりました。

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2006年8月 8日 (火)

おんがく遍歴 その4

いつまで続くのでしょう、ふくみみの「おんがく遍歴」は。もっとざくざく一気に書き進めなければ・・・

チェロ好きです。あの音!先日「だったら人間の声を聞けば?」と言った友人に会ったので「アナタこんなこと言ったのよ」と蒸し返したら、彼女は全く覚えておらず「何にも考えてなかったんだよ~」と大爆笑。

そして私も蒸し返されたのでした。「そういえば、自分は単旋律の方が才能あるかもって言ってたよね」

ぎょええ、才能なんて言ったのですか。はずかしい。不遜なやつ。しかもチェロのレッスン2年しか続けられなかった・・・

ともあれその頃から、ふくみみは音楽の「横の流れ」を感じることがとても心地良いのです。いまよく聴いている音楽もクラシック寄りというか、アコースティック寄りなものが多いですね。

ポップスも楽しく聴いていますけど、バンド経験はほとんどありません。実はこれが着メロ制作に当たっては結構なハンデになるのですが、その話は、また後日。

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2006年8月 2日 (水)

おんがく遍歴 その3

「ホロヴィッツのジャケ買い」以降、ちびちびとクラシックを聴きためていきました。ピアノを弾く人はピアノ曲を贔屓しがちですけど、ご多分にもれず、私もそう(今から思えばオーケストラの色彩感をもっと味わっておけばよかったなあ)その頃出会ったシューマンの交響的練習曲、幻想曲なんか今も大好きです。ピアニストではキーシンが、その頃も今も好き。

お安い学生券であちこち演奏会に行きましたが、あるときドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴いて心を動かされるのです。朗々と歌われるメロディと、風に向かって一人立つような雰囲気に圧倒され、そうだチェロを習ってみようと思い立つのでした。

習ったのは2年ほどで、そんな時間では大したことはできませんでしたけど、やはりチェロはすてき。「人間の声に最も近い楽器」といわれます。でもそれを友達に話したところ「だったら人間の声を聞けば?」と返されてガックリ・・・

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2006年7月26日 (水)

おんがく遍歴 その2

中学生の頃、ベートーヴェンのソナタ「悲愴」を弾くことになり、参考にレコードを買って聴いてみようと思い立ちました(CDがまだ無かったのです、年がばれますね)。

クラシック売り場 → 器楽曲 → ピアノ → ベートーヴェン → 「悲愴」・・・ええっ、こんなにたくさんあるの?名曲なだけにあまたのピアニストが録音しているのです。どれを買えばよいのやら。今なら店員さん手書きの推薦文が普通に貼りだしてあったりするけれど、当時そういうものは見かけなかったし、名盤のガイド本をちらっと読もうという知恵もわきませんでした。

そこで【ジャケット写真で一番やさしそうな顔をしている人】のを買うことに決めて、嬉々として選びました。ジャケ買いですね。

【ジャケット写真で一番やさしそうな顔をしている人】はホロヴィッツでした。「悲愴」「月光」「熱情」が収められたそのレコードは何度聴いても新鮮で、良い出会いだったと思います。ここから音楽好き@クラシック寄りになりました。

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2006年7月21日 (金)

おんがく遍歴 その1

着メロ制作はパソコンに向かってするものですが、それ以前にふくみみが最も親しんだ楽器はピアノでした。ふくみみのデータを聴いて「クラシックのニオイがする」と思った方もいることでしょう。はい、クラシックピアノを弾いてました。腕のほうは大したことありませんけど。

それと2年ばかり、チェロにあこがれて習ったことがあります。これはとても良い経験になりました。ピアノよりも、自分の体の近くで振動する弦。単旋律のメロディーを弾くことは歌うことそのものに近く「メロディーというのは、こんなにも大切に取り扱うものなのか」と思いました。自分のなかで「歌う」ことが普通になり、ピアノも歌いながら練習するようになりました。

着メロを作るときも、しょっちゅう歌っています。打ち込みメロディーに自然な表情をつけたいので・・・でもPCモニターを前にしてに歌っている図は、我ながらちょっと不気味な感じです(笑)

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